Introduction
家族の数だけライフスタイルがある。
暮らし方は住人十色。
暮らしを彩るサポーターで、私は在りたい。
はじめまして。営業担当のこんちゃんこと誉田です。
僭越ながら、第一弾としてIntroductionの執筆を務めます。まずは、当社がご提供するサービスに対する考え方をお伝えするにあたり、まちや暮らし方が多様化する中で住人十色の暮らしを支えるサポーターであるために、まず自分自身の暮らしの原点から紐解いてみることにします。
暮らしに対する考え方の私の原点は、集落的なコミュニティにあるような気がします。
出産のために里帰りした母の故郷、石川県の加賀市橋立にて、私は生まれました。日本海に面した自然豊かな小さな漁師町です。9月になると大漁と豊作を祈願する獅子舞のお祭りが開催され、橋立漁港は子供たちを中心に「ロッコイ」という掛け声で賑わいをみせます。「ロッコイ」とは「艪(ろ)を漕げ」という意味で、江戸時代に北前船で繁栄した橋立の歴史を後世にまで紡ぐ掛け声です。
大阪のような都会ではなかなか見られない光景ですね。
生まれたばかりの私は、母に連れられて大阪の松原市という13万人弱の下町に戻り、そこで20年間育ちました。いまだに、牛乳屋さんが一軒一軒配達するようなローカル色が強いまちです。
近所の方たちに支えられた幼少期
美容師をする両親は毎日帰りが遅かったたので、私が小さい頃、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんや同級生に遊んでもらっていました。
「ご飯食べていきー」
と、ご飯を頂くことこともしばしば。集落的な環境で、ご近所の方々に支えられて人の温かさの中で育ちました。
こんなご近所づきあいは、単身住まいをした東大阪でも続きます。
ワンルームのお風呂は狭く追い炊きもないので、歩いて20秒の銭湯へ通うようになり、多い時は週3回行く常連になりました。
真ん中に番台があり、壁には富士山の絵が描いてある、昔ながらの銭湯です。
仲良くさせてもらうといつの間にか体を洗うタオルも洗濯してくれるようになりました。時には、「晩ご飯ないんやったら、食べに行こか」とご飯をご馳走してくれいつも気にかけてくれました。
私にとって”住まう”とは
こうやって過ごしてきた私にとって、まちの周辺環境は、”住まう”を考えるときの重要な要素となりました。
タワーマンションの最上階から見える景色や、高価なインテリアやシャンデリアではなく、地面から近い場所で生まれる強いベクトルを大事にしたいです。モノからではなくコトにより多くの人に心が動くことを学びました。建築家の家成俊勝さんのお言葉を借りると「歩きながら交差点でいちいち車を確認するために立ち止まるのではなく、路地のような共有のテリトリーを町の中にうまく配置し日々の営みが全面的に展開した路を歩き、その路を住民通してメンテナンス」していけば、まち全体がきっと色鮮やかなものになるのではないかと思います。
私の”住まう”に対する考え方は、育った環境や出会った方々から受けた影響に左右されています。自分自身の生い立ちや育った環境をひも解くとどんな暮らし方がしたいのかが見えてきます。また、時代の変化に伴い暮らし方も大きく変化しています。
コロナ禍で家の重要性が大きくなったことで、これまで以上に強く認識したことです。
新居をお考えのみなさまご自身にとっていい暮らし方を考えるには、こんな感じで、生い立ちやどんなことに心が揺らぐのか、ご自身の内なる部分に目を向けると周辺環境や住まい方のイメージが膨らむのではないでしょうか。私は、そんな会話を重ねて、みなさまの内なるものにお応えする本質的な提案をしていきたいと考えています。建築家を目指す私は、「建築家もまちの不動産屋も暮らしのサポーターとしての本質は同じだ。」と考えながら、日々業務に努めています。
いいご縁に出会えることを楽しみにしながら、その日までにしっかり知識や経験をつんでいけたらと思います。